着物との出会い

来日したキモノフリークの友人の影響で、着物の世界にハマった私。
近所の和服・和小物のお店に通ったり、着付けを学ぶため料亭で仲居になったり。21世紀の和の文化への回帰現象を観察します。
 

2013年06月22日

姫路、播但線の駅で見た浴衣姿

駅まで自転車や車で行く人が多い土地に住んでいると、着物姿の人を見かけることがめっきり少なくなります。

が、きょうは姫路までJR、姫路駅から播但線という単線で出かける用があり、6月というのにあちらこちらに浴衣姿をみかけました。移動中のショットなのでブレがひどいですがいくつかご紹介。わーい(嬉しい顔)
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足にサンダルで歩きやすそうです。子ども用はちょっとスニーカーっぽいサンダルで、これも意外とかわいい。ゆかたがレース付きでミニ丈、帯は胸の下でリボン結びでした。江戸時代はかなり自由に着ていたというから、案外こういうのはフツーかもしれません♪

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そして、こちらは緑深い静かな駅、香呂で姫路行きを待つ人たちの浴衣姿。帯の渋い紫がうまく写らなくて残念ですが、この白地に紫の模様の浴衣、下駄の紫の鼻緒とすごく素敵なコーディネート。
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この紫のアレンジが光ったのは車中でした。なんと、1両に7人ほど浴衣姿の若い女性が立っていたのですが、そのうち5人が黒字にピンク系の大花。みごとにかぶってました〜。(手前にいた女の子のピンク色で隠れてしまっていますが、小さい子は圧倒的にピンクが多いですね。)
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なので、ちょっと洗いざらしで、糊ピンに見せるようなアイロンがかかってない、白地のゆかたがますます粋に見えました。しかも涼しげ。

さて、これはおまけです。
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ワンマンの電車というのは信濃鉄道などでも体験しましたが、運転手さんが出てきて整理券や運賃の精算をする電車って初めてでしたw 目

単線というと昔ならすごく田舎という気がしましたが、かなり大きな商業地である姫路駅周辺まですぐだし、車の所有者が多いので、全国チェーンのお店は今やあちこちに見えます。

全国チェーンといえば、ネットでチェックして、実店舗に買いにいく、というパターンが増えているそう。スマホの普及で、携帯オンリーだった人たちもウェブアクセスするようになったからかもしれません。
ゆかたセットで検索すると、レディースの前にメンズゆかたがトップに上がったりします。取り扱う店が少ないから訪問者の数が多くなるからかもしれませんが、徐々に男性ゆかたを見かけることも増えてるのもある?

ちなみにこっちもおまけです。
全然関係ないのですが、大阪の御堂筋線で数ヶ月ぶりの着物姿を見かけて咄嗟に撮影したものです。6月にはいっていたので単衣だと思いますが、色は5月の緑を思わせます。
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粋ですね〜、おふたりとも(^^)。
なぜこんな髪型なのか不思議ですが...
posted by maruai at 20:13| Comment(0) | ゆかた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月30日

女袴は貴族の下着だった?

先週末の晴れた午後、自転車で通りかかった住宅地、卒業式なのか謝恩会なのか、3人の袴姿の女性が写真を撮りあっていてとっても艶やかでした。急いでなければ写真を撮らせて頂きたいところ、見とれつつも残念ながらそのまま通過 orz... とりあえず、1月末にショッピングモールで撮っていたスナップをアップ。

卒業袴 .png成人式や謝恩会などのドレスアップはかつては振り袖が当り前で、80年代前半は、袴姿は今以上に斬新で、目立っていました。まだ「大正ロマン」という言葉も今ほど聞き慣れなかった頃。

女性が袴をはき始めたのは、というと大正の女子学生を思い浮かべますが、よく考えてみれば、雛人形の三人官女も緋の袴をつけています。

元々は貴族の女性の下着で、これは飛鳥・奈良時代からのことでした。平安の頃には表へも着ていくようになったので、官女たちも纏っていたようです。

その後、女官たちの衣類も実用的なものに変わっていったのか、鎌倉時代には袴を略して小袖(こそで)で出かけることが増え、武士が台頭した室町時代以降、私たちが時代劇で見慣れているような、小袖姿が一般化したようです。江戸時代では公家・武家ともに袴があまり着用されなくなりました。

それが、明治維新後、宮中の婦人の制服として袴が取り入れられて、儀式の礼服として用いられるようになり、袴は再び注目されるようになったそうです。

Picture 1227.png一般の女子が袴をはくようになったのは1871年(明治4年)からのことで、女学校の教師が最初といわれています。1878年頃には女学生が紫の行燈袴をはくようになり、1890年頃になると、小学生の一部にも浸透。

1876年(明治9年)に幼稚園が設置され、保母や幼稚園児のなかにも袴をつけた女児の姿が見受けらたそうです。袴を着るということは裕福な家庭の子女であることを意味したようです。

そうなんですね。着物と帯だけでも、そこそこ手間がかかるのに、なぜ袴、と思っていたら、戦国時代に男に混じって闘った女傑以外は、主に屋内や庭園の行事で格式を保つというイメージが強い袴。

ちなみに、図や写真入りで、袴の着付けが出ていました。
こちらσ しゅみの着物 [袴の着付け方]

帯や紐だけで長時間着て動き回っても型崩れしないように、となると、こういう仕掛けなんですねw。(見ているのは好きでも自分が着たいと思ったことがないので、初めて知りました ^^;;)チョゴリに似てるな〜、と思うのは私だけではあるまいw。

実用性から考えると、一般的な和装以上に着る機会が少なそうなので、袴はやっぱりレンタルがいいかな〜。レンタルより安いセットも結構ありますが…。

posted by maruai at 16:25| Comment(0) | 着物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月02日

出雲大社と一畑薬師、山陰への旅

出雲方面への旅を初体験。日本じゅうが神無月のとき、神様が集まる出雲は神在月という。そしてそれは11月。知っていたはずなのに、11月は霜月と言われて、「おお、それなら10月中に行かなくちゃ」と勘違いして行ってきました。他県では霜月の頃、出雲は旧暦勘定で11月に神在月祭りをしてるんでしたw。
出雲大社神在祭.jpg
↑11月23〜30日だと工事中でももっと賑やかなんでしょうねw。

いま、ちょうどJRでは山陰めぐりパスという、今年の12月31日まで実質半額で関西から往復できるトクトクきっぷが発行されているのですが、駅までの道のりや乗換え待ち時間など考慮すると片道7時間ぐらいとなって宿泊代が1泊分増えそうなので諦め、車にしました。山陰への道は道路混雑がほとんどないので4時間ちょっとで出雲まで着きます。
出雲大社御本殿「平成の大遷宮」看板.jpg
出雲大社御本殿「平成の大遷宮」の案内板には、5月半ばまでに来ていれば見れたはずの本堂の写真などが…。

実は、出雲大社ではなく、目の神様で知られる一畑薬師に20年近く前に買ったというお札を返納するための旅だったのですが、どうせなら近くの出雲大社も参拝してこよう、と計画。

が、神在月の大祭は11月23日からだっただけでなく、今年が60年に一度の「大遷宮」といって本堂工事中につき中には入れないことも到着してから知りました。 orz...
出雲大社本殿工事中.jpg
↑あぁぁ… orz...
とはいえ、東側にある古代出雲歴史博物館やそこまでの公園は素晴らしかったです。
古代出雲歴史博物館カフェ.jpg
時間があれば1日中こんな場所で読書でもしていたいような…。
風土記時代の出雲 マップ.jpg
古代出雲歴史博物館のほんのワンシーン。古事記の神話の3分の1は出雲が舞台とのことなので、じっくり時間をかけてまわりたい。

そして滅茶苦茶道に迷いながら真っ暗闇の山道を上って到着した一畑薬師の敷地内にある一畑山コテージも、まだ朝の宍道湖を眺望する前から感動の連続。
一畑薬師本堂.jpg
到着翌朝に参拝した一畑薬師の本堂(左)。
一畑薬師境内からの眺望.jpg
一畑薬師境内からの眺望。南に宍道湖が一望できる極楽のような場所。
のんのんばあと一畑薬師の由縁.jpg
ここから近い松江はNHK朝ドラのマナカナちゃん主演「だんだん」の舞台になりましたが、その後、「ゲゲゲの女房」で出てきた漫画家の水木しげる先生の作品で知られる「のんのんばあ」は実在の人で、水木少年を連れてこの薬師寺に通ったとか。


一畑薬師階段.jpg
昔はコテージは無かったので、一般駐車場からこの階段を上って参拝したらしい。

一畑山コテージ入り口.jpg
北欧から輸入したという一畑山コテージの東棟に到着したときの写真。

一畑山コテージから眺める宍道湖.jpg
一畑薬師本堂と同じく南に宍道湖を望むコテージの窓。極楽浄土のような…。

近いようで瀬戸内側の住人には半端に遠くて敬遠しがちな山陰。でも、もっとちょくちょく行きたいと思う場所になりました。巡りきれないほど寺社仏閣も大自然もいっぱい。(北九州で放射性瓦礫を燃やしてなければ、いっそ住んでみたいほど。)

「冬の米子道は冬用タイヤで」蒜山高原PAで警告文が。そうそう、ここを瀬戸内側から中国縦貫経由などで北へ向かってやってくるドライバーは真冬でもタイヤを履き替えないから教えて貰っておかないと、ですね(^^;)。
蒜山高原、冬のタイヤ警告.jpg

他県から島根に車で入った経験がある人はご存知でしょうが、普通の道路マップだと一度迷うと奈落の底…というか、直観ではあり得ない道の繋がり方をしているので(ある意味東京都心並み)方向感覚がなくなります。まっすぐ東西に移動してるだけのはずなのに、iPhoneのマップ・ナビ機能程度だとあっという間に道を逸れてしまうことの連続でへとへと。なんせ周囲は山道だらけ(そういえば20数年前にも山口から広島へ入ろうとかすっただけで同じ体験を…@@;;)。翌朝は宍道湖を眺めながら松江のオートバックスにカーナビ(Gorilla)を買う為直行しました。


これ。小さめのを自分で取り付ける人は2万円以下からでもありそう。最近のはちょっと古めの型でもすごく親切になってるんですね。最後にナビで運転したのは8年ぐらい前ですが、交差点を行き過ぎてしまったり、早めに曲がり過ぎたりしてました。それがもっと適切な説明に変わっていて完璧な誘導。(しかし運転中にテレビつけるのが合法ってどんな国w。)
posted by maruai at 19:38| Comment(0) | 山陰めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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