着物との出会い

来日したキモノフリークの友人の影響で、着物の世界にハマった私。
近所の和服・和小物のお店に通ったり、着付けを学ぶため料亭で仲居になったり。21世紀の和の文化への回帰現象を観察します。
 

2012年07月21日

ゆかたびら(湯帷子)- 浴衣の歴史

いつも読み応えのある都屋呉服店さんのニュースレターですが、今回も、もう丸ごとどうぞ!
http://www.hidamiyakoya.com/pdf/culture/112711134849.pdf
といいたくなる話題と画像♪

この涼しげな柄。白地に上品な赤と青。英国と感覚が似てる気がします。英国の真夏は日本の5月ぐらいの気温で花盛りですが。
Picture 989.png

PDFが開けない方のために、ゆかたの歴史について引用してみます。

ゆかたの歴史と現状
[引用ここから]
ゆかたの起源
浴衣の起源は平安時代、貴族が蒸し風呂に入るとき、水蒸気でやけどをしないように着た「湯帷子【ゆかたびら】」がはじまりとされています。帷子【かたびら】とは麻の着物のことです。その時代、麺は高級品とされていたため、装束の下着となる薄い着物は麻で作られていました。

江戸時代後期になって、綿の生産量が高まり庶民に普及するとともに、湯帷子に生地も麻から肌触りの良い綿に変わりました。また、銭湯の普及にともない着用の場が増えたため、略されて「ゆかた」と呼ぶようになりました。

現在では風呂上りだけではなく、夏に着る着物として定着しています。

帷子【かたびら】とは?
帷子とは、古くは装束をつけるとき、汗とりとして着たもので、生絹【すずし】・練り絹【ねりぎぬ】または麻糸で織った布で、色は白が正式だが紅帷子も用いられていたといいます。江戸時代には、夏の単衣で麻製の着物をさすようになりました。

ゆかたが普及した要因として
ゆかたが江戸時代後期に普及した要因としては、以下の四点があげられます。

1.木綿の生産量の拡大
2.銭湯の普及
3.倹約政策に対抗して
4.歌舞伎人気

[引用おわり]

「倹約政策に対抗して」というのは知りませんでした。倹約令などで渋めの柄が多くなったのは知られていますが、ゆかた製造のレベルがアップしたそうです。(それまではゆかたに属さない着物を着ている人が多かったんでしょうか?)

そこだけ抜き出してみます。
[引用ここから]
3.倹約政策に対抗して
徳川吉宗の時代、享保の改革(1716〜1745年)では、一般町人の衣服は木綿、しかも色とも藍と決められました。そこで生まれたのが、木綿の長板本藍染めです。表と裏に同じ柄をつけるので、さらに技術は難しくなりますが、ゆかた製造のレベルがアップしました。

Picture 988.png
[引用ここまで]

今では麻のほうが綿より高級品となってしまいましたが(というか、皺になりやすいから再びすたれたでしょうか?)、綿は量産が始まるまでは高級品だったんですね。柳田国男の本で学生時代に知ったのですが、「木綿のころ」というタイトルで記憶している本が本棚でもネット上でも見つからなくなってしまいました。

今ならネットでも買えてしまう⇒ゆかたセット
posted by maruai at 02:41| Comment(0) | 着物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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