着物との出会い

来日したキモノフリークの友人の影響で、着物の世界にハマった私。
近所の和服・和小物のお店に通ったり、着付けを学ぶため料亭で仲居になったり。21世紀の和の文化への回帰現象を観察します。
 

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2012年07月24日

男物ゆかた

ありそうで見たことなかった気がする、スーパーやショッピングモールでの男女ペアのゆかたのディスプレイ。花火大会でも男性まで浴衣というのはかなり珍しいほうでした。(昨年、大阪・神戸両方でイベントあった日のスナップ⇒花火大会往復で見かけた浴衣

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やはりお揃いで着ることができれば粋ですよね。着て涼しく洗濯も簡単な、実質的でお洒落な浴衣が増えればほんの半世紀前の日本の夏の風景が戻ってくるんじゃないかと思います。
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(実はネット買いも増えてる⇒メンズ浴衣
門前仲町は祭りの街だし、東京中心部は年中どこかで神輿担ぎ(+その練習)をやってるので、はっぴ着て足袋を履いた人たちを見るのは珍しくなく、丸愛さんのご主人も「着物好きの男性が女性連れて来られますよ。一緒に着るために」とおっしゃってました。

関西では私が知る限り、盆踊りというのは旧暦の盆である8月15日前後が多いので、東京では7月前半から8月末までほぼ毎週どこかで盆踊りがあると知ったときはびっくりしました。数年前は一覧表にしてあるサイトも発見しましたが、今回検索でゲットしたのはこの2つ。
[東京の盆踊り]2012 盆踊りスケジュール♪
「東京盆踊り情報」 2012年(平成24年)7月24日号

2010年の夏には「来年はゆかたを着て参加しよう」と思いながら、マンションの近くの盆踊りを見物してたものでした。が、もし今まだ東京に居たとしたら、子どもたちのためにしっかり除染してあるかどうか確認できる所しか行けないなぁと思います。(さすがにマスクして踊りましょうとは言えないけど、デモに行く人は内部被曝防御のアピールも兼ねて着用して下さい。)

東葛だけでなく、都内随所でチェルノブイリで今でも立入禁止となっている区域なみの線量が計測されている上、この1月には港区赤坂で(測ってガイガーなど、有志で測っているセシウムの量から考えてありえないほどの)ストロンチウムが計測されています。
アメリカ国家核安全保障局による日本国内の大気中ダスト分析データ
なんと、放射線事業従事者の上限とされている濃度限界の5万8千倍。(文科省が《恐らくいつもの》過小評価で認めているウラン燃料の量がそもそも広島原爆の168.5倍なので何でもアリです。)

コンクリートが多い場所では大半が既に下水に流れたかもしれませんが、植込みや公園などの土の入替えなどはほとんどしていないはずだし(この国ではあれだけの事故の後も放射能はないことになってるので)、建物の屋根やベランダの埃は雨が乾くたびに辺りを浮遊しているし、福島第一原発からの放出は事故後まだ一度も止まったことはなく、大方は海に向って風が吹くとしても、3月15日や21日のように何度もぐるりと別方向に回って飛散しています。

中高年でも東京ベースの知人らは、昨年は白血病や腎臓病で亡くなった地元の知り合いが多いと言ってましたが、発症まで早い人はこの濃縮過程が早いのかもしれません⇒ストロンチウム90による内部被ばく(拡大図)

もし、どんな疾病であれ、免疫力が落ちてきてかかり易いとか、治りにくいと思ったときは、ビタミンCやケイ素サプリなどの抗酸化物質を多めに摂ることを習慣化することをお勧めします。救援に行く自衛隊の人たちは高濃度ビタミンCサプリを必ず飲んでいたんです。(⇒震災直後からわかっていたビタミンC摂取による被曝の克服

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posted by maruai at 03:52| Comment(0) | 着物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月21日

ゆかたびら(湯帷子)- 浴衣の歴史

いつも読み応えのある都屋呉服店さんのニュースレターですが、今回も、もう丸ごとどうぞ!
http://www.hidamiyakoya.com/pdf/culture/112711134849.pdf
といいたくなる話題と画像♪

この涼しげな柄。白地に上品な赤と青。英国と感覚が似てる気がします。英国の真夏は日本の5月ぐらいの気温で花盛りですが。
Picture 989.png

PDFが開けない方のために、ゆかたの歴史について引用してみます。

ゆかたの歴史と現状
[引用ここから]
ゆかたの起源
浴衣の起源は平安時代、貴族が蒸し風呂に入るとき、水蒸気でやけどをしないように着た「湯帷子【ゆかたびら】」がはじまりとされています。帷子【かたびら】とは麻の着物のことです。その時代、麺は高級品とされていたため、装束の下着となる薄い着物は麻で作られていました。

江戸時代後期になって、綿の生産量が高まり庶民に普及するとともに、湯帷子に生地も麻から肌触りの良い綿に変わりました。また、銭湯の普及にともない着用の場が増えたため、略されて「ゆかた」と呼ぶようになりました。

現在では風呂上りだけではなく、夏に着る着物として定着しています。

帷子【かたびら】とは?
帷子とは、古くは装束をつけるとき、汗とりとして着たもので、生絹【すずし】・練り絹【ねりぎぬ】または麻糸で織った布で、色は白が正式だが紅帷子も用いられていたといいます。江戸時代には、夏の単衣で麻製の着物をさすようになりました。

ゆかたが普及した要因として
ゆかたが江戸時代後期に普及した要因としては、以下の四点があげられます。

1.木綿の生産量の拡大
2.銭湯の普及
3.倹約政策に対抗して
4.歌舞伎人気

[引用おわり]

「倹約政策に対抗して」というのは知りませんでした。倹約令などで渋めの柄が多くなったのは知られていますが、ゆかた製造のレベルがアップしたそうです。(それまではゆかたに属さない着物を着ている人が多かったんでしょうか?)

そこだけ抜き出してみます。
[引用ここから]
3.倹約政策に対抗して
徳川吉宗の時代、享保の改革(1716〜1745年)では、一般町人の衣服は木綿、しかも色とも藍と決められました。そこで生まれたのが、木綿の長板本藍染めです。表と裏に同じ柄をつけるので、さらに技術は難しくなりますが、ゆかた製造のレベルがアップしました。

Picture 988.png
[引用ここまで]

今では麻のほうが綿より高級品となってしまいましたが(というか、皺になりやすいから再びすたれたでしょうか?)、綿は量産が始まるまでは高級品だったんですね。柳田国男の本で学生時代に知ったのですが、「木綿のころ」というタイトルで記憶している本が本棚でもネット上でも見つからなくなってしまいました。

今ならネットでも買えてしまう⇒ゆかたセット
posted by maruai at 02:41| Comment(0) | 着物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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